お花見がなぜ桜なのかは、遣唐使が廃止されたことと、嵯峨天皇が神社で見た美しい桜の花を愛でるようになったからです。
お花見のお花は、最初は桜ではなかったのです。
奈良時代の頃は、遣唐使によって中国から梅が持ち込まれたことから貴族の間では梅が鑑賞されていました。
そこで、今回はお花見はなぜ桜なのか、お花見が今の形になったのはいつかについて紹介します。
また、お花見の文化は日本だけなのか、お花見の食べ物についても紹介しています。
お花見はなぜ桜なの?
お花見が桜になったのは、遣唐使が廃止されたことと、嵯峨天皇が地主神社で見た美しい桜の花を愛でるようになったからです。
お花見は、奈良時代の頃に遣唐使によって中国から梅が持ち込まれ、その香りの高さや色鮮やかさから貴族が好んで鑑賞するようになったのが始まりと言われています。
お花見が梅から桜に転じたのは、平安時代に入ってからです。
春の花の代表とも言える桜は、農民など庶民の間でも田の神が宿る神聖な木で、田植えから収穫まで見守ってくれるありがたい存在とされていました。
春の山桜は、稲の種まき用の季節時計として使われていたのです。
そして、嵯峨天皇が桜の下で宴(花宴の節)を催したのが、花見の起源とされています。
平安時代に入ってからは、貴族たちの間でもお花見は桜で行われるようになり、武家社会に受け継がれ、江戸時代には庶民の間でもお花見が行われるようになりました。
昔は、桜と言うと山桜のことだったそうですが、現在全国でみられる桜は江戸時代末期にいくつかの品種を掛け合わせて作られたソメイヨシノと言う品種です。
お花見が今の形になったのはいつから?
お花見が今の形になったのは、豊臣秀吉が京都の醍醐寺で催した醍醐の花見がきっかけでした。
豊臣秀吉が開催したとされる、醍醐の花見や吉野の花見は桜を見ながらお酒を飲んで愉しむ宴会の形が今のお花見の起源になったのではないかと言われています。
現在でも、醍醐寺では秀吉の醍醐の花見にちなんで、毎年4月の第2日曜日に豊太閤花見行列というイベントが開催されています。
舞台となった醍醐寺では、現在でもこれにちなんで毎年「豊太閤花見行列」というイベントが催されています。
その後、江戸時代に入ると徳川吉宗が、隅田川堤や御殿山、飛鳥山など各地にお花見名所を作っています。
また、お花見で桜の花を見る人が増えると土手が大勢の人で踏み固められると考え、川の氾濫を防ぐために川沿いに桜の木を植えたそうです。
わたし達が、お花見で川沿いの桜を見て宴会出来るのは、江戸時代に徳川吉宗が植えたとされる桜の名残なのかもしれませんね。
お花見の文化は日本だけ?
お花見の文化は、日本特有のものです。
日本は、昔から春・夏・秋・冬と言った四季がはっきりしていたので四季の移り変わりを花や木を観賞したり、季語を入れて俳句を詠んだりして楽しむ風習がありました。
春になると、桜の木の下で花を見ながら大勢の人とご馳走を食べるお花見が行われています。
海外でも、桜を鑑賞することもあるそうですが、日本のように桜の下にシートを敷いてご馳走をたくさんの人と食べながら桜の花を愛でることはないそうです。
海外では、歩きながら桜を鑑賞することが多いそうです。
また、桜の観賞にご馳走を持ち寄る習慣もないようです。
そして、何より豊臣秀吉が吉野の山に植えた桜の木と徳川吉宗によって川の氾濫を防ぐために川沿いに桜の木が植えられたことで、お花見の文化が続いたのではないでしょうか。
徳川吉宗は、隅田川堤や御殿山、飛鳥山など江戸の各地にお花見名所を作っていたそうで、すでにこの頃には場所取り(桜の下に幕を張る)も行われていたようです。
さらには、日本には桜は農民にとって山から降りてくる田の神様の宿る木と考えられ、ご馳走やお酒を供えてそれを一緒にいただき豊作を願っていました。
桜は、日本にとって特別な存在だったということですね。
お花見の食べ物は?
お花見の食べ物は、花見団子や花見弁当を持って行き桜の下でたくさんの人と頂きます。
花見団子
お花見と言えば、団子!と言いますが、花見団子は三色のお団子になっています。
三色のお団子は、春をイメージし春がきたという喜びを表しているという説があります。
花見団子は、三色団子とも言いますが、ピンクは桜や陽光を表し白は白酒や残雪を緑は芽吹く緑やよもぎを表していることから春を表しているという説があります。
また、ピンクは春、白は冬、緑は夏と四季をイメージし季節の移り変わりを表したとされる説もあります。
ですが、秋を表す色がない事から、飽きないや商いにかけて商売繁盛を願ったともいわれています。
お花見の花団子にも、ひなまつりの菱餅と同じ様な意味があったのですね。
下記のページでは、ひし餅の三色の組み合わせの意味も紹介していますので、良かったら読んでみて下さいね。
花より団子ということわざがありますが、お花見よりもお団子の方に夢中になるという意味ですが、人が集まると宴会に夢中になってしまいがちなので気を付けたいですね。
花見弁当
お花見の花見弁当は、江戸時代の頃は持ち運びしやすい取っ手の付いた提重(さげじゅう)という重箱に詰められていたそうです。
この提重には、かまぼこや玉子焼きなどを詰めるのが定番だったようです。
ですが、やはり貴族と農民では詰められるものも違ったようです。
かまぼこや玉子焼きの代わりに、大根やたくあんだったと落語の長屋の花見で語られています。
とは言え、花見弁当には、これを入れなければならないと言った決まりは特にありません。
現在では、桜の名所で花見弁当が売られていることもあります。
江戸時代から続いている、花見弁当ですが、昔と違っておにぎりやサンドイッチなど好きなものをお弁当にして持って行けばいいようです。
お花見のお弁当には、いなりずしやのり巻き、ちらしずしやが多いと思いますが、炊き込みご飯のおにぎりや、焼きおにぎりなど食べやすいおにぎりでもいいですね。
それに、豪華なおかずを付ければ立派な花見弁当になりますね。
豪華なおかずと言っても、いつもの唐揚げやウィンナー、玉子焼きやエビフライ、肉団子など、色取りよくきれいに詰めれば豪華になりますよね。
お花見のお弁当を考えるだけでも、お花見が楽しくなりますね。
お花見はなぜ桜なの?のまとめ
お花見が桜になったのは、遣唐使が廃止されたことと、嵯峨天皇が地主神社で見た美しい桜の花を愛でるようになったからです。
お花見は、遣唐使によって中国から梅が持ち込まれたことから貴族の間で梅を鑑賞するようになったのが始まりと言われています。
お花見が梅から桜に転じたのは、平安時代に入ってからです。
日本では、桜は農民にとって山から降りてくる田の神様の宿る木と考えられ、ご馳走やお酒を供えてそれを一緒にいただいていたことと合わさったとも言われています。
そして、お花見が今の形になったのは、豊臣秀吉が京都の醍醐寺で催した醍醐の花見がきっかけでした。
桜の木の下で花を見ながら、大勢の人とご馳走を食べるお花見の文化は日本特有のものです。
花見団子や花見弁当など、お花見の食べ物をもっていきレジャーシートなどを敷いてたくさんの人と食べる風習のお花見は、日本の文化として伝えて行きたいですよね。