初午という用語を耳にしたことがありますか?
一部の地域や家庭では、この日を祝って盛大なお祭りを行う習慣がありますが、聞き慣れない人もいるでしょう。
初午2024年はいつなのか?なぜ初午にいなり寿司を食べる習慣があるのかについても紹介します。
初午2024年はいつ?
「初午」の読み方は、「はつうま」と読みます。
これは、2月最初の午(うま)の日を指します。
午は、十二支の一つで、子(ね)丑(うし)寅(とら)卯(う)辰(たつ)巳(み)午(うま)未(ひつじ)申(さる)酉(とり)戌(いぬ)亥(い)と口ずさみますよね。
十二支は、一年ごとに変わり、十二年で一巡するシステムです。
また、人が生まれた十二支の年に当たる年を「年男」や「年女」と呼びます。
十二支は、年だけでなく日にも当てはめられます。
例えば、1日目が「子」の日、7日目が「午」の日となり、12日目の「亥」の日をもって一巡し、翌日には再び「子」の日に戻ります。
2024年の初午は2月12日(月)です。
また、昔は立春(2月4日頃)を一年の始まりとし、その年最初の午の日を「初午」としていました。
現在の新暦に当てはめると、これは2月下旬から4月上旬にあたり、農作業の開始の目安とされていました。
そのため、現在でも旧暦を用いる神社や地域で初午のお祭りが行われることがあります。
旧暦で計算すると、初午は2024年の3月19日(火)になります。
なぜいなり寿司を食べるの?
初午にいなり寿司を食べる習慣は、「初午いなり」として知られていますが、その理由はなんなのでしょうか。
伏見稲荷大社は、稲荷神社の頂点に立つ神社で、稲荷神社は一般的に稲荷神を祀っています。
稲荷神は「稲荷大明神」「お稲荷様」「お稲荷さん」などとも呼ばれ、狐を神の使いとして祀るのが特徴です。
古くから狐は神聖な存在とされており、特に油揚げを好むとされています。
このため、油揚げを使った料理は「稲荷」と称され、油揚げで酢飯を包んだいなり寿司が生まれました。
初午の日にいなり寿司を食べる風習は、稲荷神にちなんでいます。
また、稲荷神が農業神であることから、いなり寿司は米俵を模しているとも考えられています。
日本全国の稲荷神社では、初午の日に油揚げの奉納が行われます。
大きな稲荷神社ではお祭りが開催され、多くの参拝客で賑わいます。
近年では、地域振興やイベントの一環として初午にいなり寿司を食べる文化が広がっています。
五穀豊穣や商売繁盛を願う参拝の後に、家族と共にいなり寿司を楽しむのは素敵な習慣ですね。
初午の起源は?
初午の起源は、奈良時代の和銅4年(711年)に遡ります。
この年に五穀を司る農業神である宇迦之御魂が、京都市東山連峰に位置する伊奈利山(いなりやま)に降臨したとされています。
この出来事を記念して、「初午祭(はつうまさい)」が開催され、宇迦之御魂は伏見稲荷大社に祀られるようになりました。
その後、初午の日には「初午詣(はつうまもうで)」が行われる伝統が根付きました。
農村では五穀豊穣を祈る祭りが、都市部では商家による商売繁盛を祈る祭りが行われるようになったのです。
「午」は十二支の一部であり、12日ごとに巡ってきます。
そのため、2月には初午の後に「二の午」、「三の午」と呼ばれる午の日が再び訪れることがあります。
これらの日には、それぞれの意味に基づいてさまざまな行事や祭りが行われます。
初午の日には何をする?
初午は伝統的に稲荷神社でのお参りと密接に関連しています。
地元に稲荷神社がある場合、初午には稲荷神社でのお祭りが行われることが多いです。
では、なぜ初午と稲荷神社が関連しているのでしょうか。
その答えは、京都にある伏見稲荷大社の創建にあります。
この神社は711年(和銅4年)の2月、初牛の日に創建されたとされており、これは伊奈利山(稲荷山)に祭神が降臨したという伝説に基づいています。
伏見稲荷大社の創建者、秦伊呂具は餅を的に見立てて矢を射たところ、その矢が白鳥に変わり伊奈利山へ飛んで行き、そこに稲が生えたとされています。
この出来事から、「稲が生(な)る」という言葉が「稲生(いなり)」→「稲荷」となり、神社が創建されました。
当初は秦伊呂具の氏神が祀られていましたが、後に五穀豊穣の神である宇迦之御魂が祀られるようになりました。
それ以来、毎年2月の初午には「初午祭」が催されるようになりました。
現在では初午に稲荷神社にお参りすることを「福参り」と呼び、五穀豊穣だけでなく商売繁盛、家内安全、開運などのご利益を求める人々が訪れます。